息子

22才の時息子を産みました

今から考えますと 若い。の一言(笑)


本当に可愛く

よくミルクを飲み よく寝る子でした

手が掛かった事もなく 初めての子育て

育てやすい赤ちゃんでした



ただ 言葉が出て来る頃

出てるのですが 何を話してるか分からないと 周りによく言われました



私には理解出来たので

幼い子供の「宇宙語」の時期なんだと

そう思ってました

検診にも引っ掛からず こんなものなんだと

そう思ってました



保育園に入る頃

息子の異様な落ち着きのなさに手こずりました



座って夕飯が食べれない

じっとTVが見れない

出掛けると何処かにフラりと行ってしまう



外食が嫌いになりました



これも それも私の子育て次第じゃないのか?

私は誉めてみたり

夜寝る前に本や物語をお話してみたり

集中出来るようにと 色々模索しました



だんだん大きくなって来ますと

私の口調もきつくなりました


「何で動くの!」

「走らない!」

「静かにして」など病院では きつく きつく叱りました



スーパー 病院

何処に連れて行っても 元気過ぎる息子



何でだろう?



そして もう少し大きくなりますと

娘と毎日兄弟喧嘩をするようになります

当たり前なのですが

とにかく 息子の言ってる内容が幼稚なのと

諭し ゆっくり話しても理解しない事に




何でだろう?

この子をこのまま大きく出来ない

こんなんじゃ 他人に迷惑掛ける子になっちゃう



この頃には

近所から「あの家は…」と見られていました



私は旦那の件もあり

仕事と家のみの付き合いしかしなくなり

どんどん どんどん塞ぎ混みました



小学校の先生に「うちの子大丈夫ですか?」と何度も聞いた事があります



成績が良かったからか

「大丈夫ですよ」の言葉しか返って来ませんでした



息子は異様に成績に「こだわり」始めました

今になって聞きますと

「それがお母さんに褒められるから」と言います



私が思うに

私は息子を理解せず 何で出来ないの!と

彼を否定して来てしまったのだと思います



何で普通に遊べないの?

何で友達にそんな事言ったの

どうして それが人のせいになってしまうの

数々 息子の事をそんな言葉で話していました



それを息子は否定されてると捉え

結果が出る勉強に向いたのだと思います

この勉強に関しましては

ものすごい記憶力と集中力を発揮します



私はやっと息子が「得意」になってくれる物を見つけてくれたんだと思っていました



長くなりましたので

息子の続きは次回また書きます

また その勉強が彼を苦しめる事になって行くのでした

私の根底にあるもの

私の根底にあるもの

それは


「母親みたいになりたくない」

です


私の母親は今で言う「毒親」です

インナーチャイルド?

3才位の母親です



父親に依存し

子育て出来ない 出来ないのではなく

「あんた達がおかしいんだ!」

「お母さんは あんた達に苦しめられた」

「お前達なんかいなくていい 私にはお父さんさえいればいい」



こんな言葉は耳たこです

日常的に言われて育ちました



三人の子供を比較し

自分に優しくしてくれる子を可愛がる

自分に都合よく動いてくれる子を可愛がる


可愛がると言っても

一時的に機嫌が良くなる。こちらがしっくりきます



アイデンティティーが低く

コンプレックスの塊のような人ですので

自分のなりたかったような私には

協力的のような 時として私の子供のような存在みたいになりますが



他の兄弟への当て付けであり

他の兄弟を都合よく動かす手段に私が使われるだけの結果になります

必ずなりました



私は他の兄弟から

勝手に妬まれ 恨まれました

早くから実家を出た私

全体を把握するのに時間は掛かりませんでした



今でこそ 弟とは分かち合いますが

大好きな兄弟からの妬みや恨みは

辛いだけでした



母親の暴走は父親が亡くなって

本領発揮

母親は「お父さん亡くなって 鬱みたいになってた」と言いますが




娘から金はせびる

弟には家を建て替えさせる

建て替えさせて 3年もしないうちに

「こんな家出ていきたい」とか

「隣の土地買って 広い家に住みたい」と

真顔で言います



鬱?

喫茶店をやり うちが連帯保証人になり

「私が頼んだんじゃない あんたの旦那がなったんだ!」



鬱?



こんなエピソード

書いても 書いても 書ききれません(笑)



こんな母親にはなりたくない

これは私が幼い子供のころから強く 強く思っていました



私だけ祖母の家に土日は必ず泊まりに行きました



精神科の先生は私を

「斜めから母親を見てたんですね」と言いました

そうだと思います



依存性の異様な母親

口では立派に生きて来たとか言っていますが

今ではパチンコに散財して

仕事を掛け持ち働いてます

働いては

「この歳でこんなに働かせられるのは 娘 息子に甲斐がないからだ!」と真剣に言ってます




誰も相手にしなくなりました



満たされる事なく

死んで行く人なんだと思います



強く 強く母親のようになりたくないと思っていた私

旦那の事も誰にも言えず

誰かに頼る事も知らず

頑張って 頑張ってと自分を余計追い込む結果になりました



母親の事は

母親ですが なりたくないとは今では思わず

「そもそも 彼女とは違います」

そう思えるようになりました



期待もなく してあげる事もなく

割りきれました



この根底の気持ちも

私を苦しめる事になりました

何かの気持ちに「執着」するのは

あまり 良くないですね



最近そう思います

カサンドラ

カサンドラになるまで?

アスペルガーを旦那に持つ妻たちは

大変努力をしていると思います


まるで旦那の「ボランティア」の為に私は生まれ結婚したのか?

そんな気持ちになっていた事もあります


こんなんじゃ 私が駄目になる


本当にアスペルガーの旦那は

大変なのです


離婚

この選択肢は常にありました

「離婚するのはいつでも出来る それが今なのか?」

「今 離婚するタイミングなのか?」

「私が我慢して 旦那に何とか分かって貰う努力をしなければ」



こんな気持ちの繰り返しでした

繰り返し 繰り返し

「私が 私が」になって行きました



そして そんな気持ちは全く旦那へは通じません



通じない事の

共感してくれない事の繰り返し

これでもか? これでもか?と繰り返します



旦那の仕事をしやすい環境作り

「風呂 飯 寝る」に結果なってしまいました



そうじゃない

優しさを求めるだけではなく

私が素直になり 相手を思う事から始めようと そんな気持ちだったのですが


旦那からすると

全くそんな気持ちは伝わらず

自分の仕事がしやすくなった ただそれだけのように見えました



もう止めよう

無駄な努力だ

そんな風に思い 「私も忙しいから 少し手伝ってくれる?」何て言いますと



旦那は

「本当 お前はコロコロ気分が変わる!」となりました



そうじゃない

そうじゃないんだと話をしようとしても

無言の繰り返し

そして キレます



この繰り返し



子育ても一人

孤独感 共感出来ない

私がおかしいの?

私が駄目なの?



こう私はカサンドラになって行きました


息子が発達障害だと分かり

児童精神科に掛かり

あっ、旦那もそうなんだ!と目がウロコ50000枚位出て



すぐ 私はカサンドラに行き着き

ゆっくり 人生を振り返って

「私が駄目なんじゃないんだ!」

「アスペルガーの旦那を持つ事は こんな気持ちになってしまうんだ!」



となりました




本当にまだまだ

同じ悩みを持っている方々多いと思います

こんな家庭の話なんて

近くの人には言えませんから



そして 本当に自分の自信を奪われて行きます

モラハラ?アスペルガーの旦那は

単発の単語で罵倒しますから

ものすごく 否定されている気持ちになります


だんだんパワーを吸いとられてる

そんな気持ちにもなりました