毒親は治らない

「親」って

結婚し 子供産まれたら「親」になってしまいます



「親」になる事を構えた訳ではないですが

妊娠中 タマゴクラブを買ってみたり…

ただ 無事産まれてくれる事を祈っていたり…



産まれたわが子が可愛くて…

「どうして泣いてるの?」と

初めてのわが子には 悩んだり…


ひたすら 抱っこしながら 寝かせたり…



一言何か言っては 喜び

オムツのサイズが大きくなれば 喜び

歩けば… 拍手喝采



「ママ ママ」とまとわりつくわが子が

愛おしくて…

結局 抱っこしたり…



3歳までは 凄く濃密な毎日

「ずっと一緒」の日々

誰かに預けたいとも 思いますが

いざ 預けると

すぐ わが子に会いに戻りたくなり…

結局 買い物ゆっくり出来なかっり…



私のエピソードは そんなに皆さんと

違ってないように思います

ママ友も みんなわが子を愛していました



そんな時期は わが子の成長の話ばかりだったように感じます




お風呂に1人でゆっくり入りたい

喫茶店でゆっくり珈琲が飲みたい



当時の私の願いでした



そんな事は 子供達が保育園に入れば

すぐ叶ってしまいます



今では「一緒に買い物行かない?」と言っても



即答「無理」と言われたりする始末笑




私の実母は 泣く赤ちゃんの声が

「うるさい!」と感じる人でした

親戚のおじさんが言うには

「投げていた」と聞きます




動き回っても 話し出しても

「うるさい!」だったようで

うっすら覚えてますが

よく 理不尽にビンタをされました



3歳の頃 「嘘を付いた」と言われ

タンスの中の洋服を溢れる程持たされ

玄関ソトに裸足で掘り出されました



泣き叫んでも 中に入れてくれなく

近所のおばさんが来ました



「もう 堪忍してやって!」



これは 私だけのエピソードではなく

姉もそうでした




赤ちゃんの頃

あんなに「天使」みたいな 本当に可愛い時期



「うるさい!」と投げれる人ですから

母性ではなく やはり「自分」だったと

哀れに思いますが 確信しています




まだ 私が2歳の頃

姉が保育園に通い 私と母だけの昼間

「男がどれだけ怖いか教えてやる!」

と 母親に馬乗りにされ



「唾液を口に入れられました」



母親は爆笑していましたが

私は母親が怖いと感じたのを覚えています



まだ 2歳です



この記憶は 鮮明に覚えています




男がどれだけ怖いか?

「怖い」者ではありません


そして 今なら「虐待」でしょう



姉も同じようにされて来たと思います




毒親は「治らない」

私はそう割り切って 付き合いを絶ちました




揺れた時期も20代はありましたが

1つ 1つのエピソードを振り返る事が

出来るようになると




母親がいかに「クレイジー」だったか

分かります



子供を愛せない「人間」なんですね



多分自分も愛してないでしょう



境界性パーソナリティ障害と診断されましたが

今の今でも その診断を

「認めていません」




受け止めない人に 寛裕も何もない訳です




3歳までの子供って

本当に「幸せ」を毎日くれます


笑ったり 泣いたり…

怒ったり…

抱っこしないと 寝なかったり…




同じ立場の母親になり




毒親は「自分に向き合わない」限り

治らないと そう思います