可哀想

この「可哀想」の感情


これはカサンドラの「罪悪感」となる



障害なんだから

「分からない」んだから


旦那を「捨てる」感覚


「私が分かってあげなきゃ 誰も分かってあげられない」そんな責任感



私もそうだった

今でも そんな気持ちになる時がある




旦那からすればどうだろう?

「別れたくない」ならば相手が何故別れたいのか知りたいはずだ



現にカサンドラから「別れ」を真剣に突き付けられ

自分が「アスペルガー」と向き合ってる人はいる



うちのケースだが

彼から「別れたくない」とは聞いていない



つまり 「嫌」ではないのだ

条件が苦しければ「嫌」になるだろう



「子供」についても何も聞いていない



つまり 「考えるだけムダ」な

「可哀想」なのだ



私の勝手な妄想の中

「あの年で 独りっ子で 片親で 病気してて」



「一人になるなんて」



「可哀想」



だけど 彼は多分そんな事など思っていない

嫌じゃない



むしろ「得」なんだ



そんな人を「可哀想」と思う自分が



「可哀想」だ



そう 勝手にカサンドラは相手を

「普通」の世界で決め付け

自分を責める




アスペルガーは

「自分の世界」で生きている


もし 嫌なら絶対しないのだ



もしかしたら 「変わろう」とする位

嫌なら絶対しない



だから私は思う

「可哀想」なら 別れて楽にして


自分の為 子供の為に生きて行きたいと



たまに考える「可哀想」は

私の考えの思考の癖なんだと



今日は旦那が休みで

ずっと寝室でゲームしてます



今が一番 ややこしい生活かもね

けど 必ず自分の世界が待ってるから

今日1日 乗り越えよう



そう blogしながら

思っています