振り返りを乗り越えて

悲惨な家庭に生まれたと思います

完全に「放置」の方が 私には

わかり易かったように思います



ジェットコースターのように 上り下りが繰り返される母の精神状態

「ろくでもない子供」のレッテル



3人兄弟の比較

誰が1番母に「都合よく動くか」それが母の

「評価」でした



私もそれなりには頑張っていました

勉強 部活…習い事…



そんな頑張りは「評価」されない家




母の都合に合わせて動き

母を「否定」しない 「いい子」だけが

「評価」される家でした



年中 頭が痛いと寝込む母に代わり

家事 洗濯物…それをしなければ行けません

部屋は汚く…

お友達を呼べる家では無かったです



習い事もしましたが

沢山 お金を使ってくれましたが

基本「それだけ」であって…

関心など 全くありませんでした



大雪が降ろうが 送り迎えなど一切なく

自分で行くしかないのです

大雨でも同じ…

私はベタベタに濡れて 勉強し

ベタベタに濡れて帰宅してました



「変わった」子に見えたでしょう…



姉は習い事をすぐ辞めてしまいました

とにかく続けた事はありません

だからなのか 家事 洗濯物…

母に代わり 中学まで本当に手伝いをしていました



そんな姉を母は馬鹿にしていました

「お前は結婚しか道がない」

「お前みたいのは 早く結婚するしかない」



太ってる姉だけに洋服を買わず

「だって 似合わないから 仕方ない」



痩せてる私には

沢山洋服を買ってくれてました



それら母がした兄弟比較は

私への「憎悪」となり

コンプレックスになって行ったと

姉から言われた事があります



私から言わせれば 母が「悪い」

しかし 母からの愛情不足の姉は

「私さえいなかったら」となるのです



これも 姉から言われました



大人になり 私の評価を下げたい姉は

私を知らない人へ 「どれだけ最悪な妹か」を刷り込んでいきました



これをも知った時は

さすがに 悲しく思いました



今は子育てを私もしているので

母の育ての中

そのようになってしまうのは

「分かります」




1番言う事を聞く姉に

母は1番「虐待」をしました



私は反論しますし 反発もするので

母から暴力を振るわれた記憶がありません




母は私を「1番育て難かった」と言います

私が1番 言う事を聞かなかったのです



弟もよく

「姉ちゃんだから通るんだ」と言ってましたが

当時の私は

何故 他の兄弟が母に「言わないのか」が

不思議でした




嫌なら嫌と言えばいい

そう思っていました



ですが 大人になってからも

車買ってあげたり 家を買ってあげたり…



中途半端に母の喜ぶ事をする弟

何故 中途半端かと言いますと



母は全部生活費を出さないと「満足」しない人だからです

母から三万円を払って貰っている弟ですが

この件を母は物凄く「いらないよ もうお母さんは年なんだから位言えないのが情けない男だわ」


と言っています

母からお金を貰うから「情けない男」になります



母の視点から パーフェクトを貰うなんて

「無理」なのです




しかし 姉も弟も

まだ パーフェクトを望み

中途半端に関わり 罵倒し暴力になり…

それでも 母を求めています



何一つ 助けてくれない母なのに…




嫁がウザイからと

弟の子供に頭からお湯を掛けたと笑う母なのに




コントロール下にいるようです




怖いですね

母って「源」です



一言が勇気くれたり 元気になったり



それが 全て自分の都合よく動く子供に

コントロールするのですから



姉や弟のアイデンティティが低いのも

納得します




沢山 沢山悩んで 苦しんで来ました

お金も沢山払いました

本当に 沢山払いました

私なりに身内に尽くして来ました



けれど もう終わります

その沢山の悲しみや苦しさがあったから

「今」私の強さが出来たのだと

そう思います




身内同士での蹴落とし合いの「畑」では

私の望む生きて行き方がありません




もし 母に何かがあった時

その時の自分が何かを考えるでしょう




とにかく もう終わりました



晴れ晴れとは行きませんが

前を向いた気持ちになっています



精神状態がとても不安定な身内

やはり 病院に掛かるしかないと思います



私には何も出来ません