旦那のエピソード 5

脳梗塞になり 連日検査が始まりました

当時の担当の先生から

「年齢的にも若い 小さな子供さんもいます

なのであらゆる検査をして 消去方で病名を断定したい」



そう言われました



「多発性硬化症」や疑えるべき病気の検査をして行くと




丁寧な説明に私は「安心」をしました



「お任せします よろしくお願いします」

そう言いました




旦那はカテーテルでの造影剤検査

骨髄の検査…

頚動脈のエコーなどなど 検査を連日していました



一応 24時間「看護」の病院なんですが

どうしても「体拭き」は看護士さんでは嫌だと言い



私が朝 夕 夜と仕事と家事の合間に

病院へ行きました



毎日2リットルのお茶 着替え 洗濯物…

医者からの説明…




全ての検査が終わり

病名は「脳梗塞」でした




初めこそ 左手が動かし難かった旦那でしたが

詰まった血管は

「毛細血管」



死滅した脳の細胞を周りの活発な細胞が

手助けしてくれ

全く「後遺症」は残りませんでした




当然 「大黒柱」が病気したのですから

私の頭の中は




「お金」の心配が消えません




そんなある日

会社の社長が御見舞に来て下さりました

「うちのエースで働いてくれてるけど…どうや?俺の右腕として トラック降りへんか?」




旦那は

「はあ…まあ…………」

と曖昧な言葉



私の中では「そうしなよ!!!!」の気持ち




社長が帰ってかれて 夫婦で話し合いました



「トラックも長くは働くの辛いし 病気もしてるし 社長の打診受けて欲しい」

私は切にお願いしました




すると

「俺はね!太く短く生きて行きたいんだ!!!」とキレだしました




負けず説得を重ねましたが…

旦那は運転手を辞める気はありませんでした




「奥さん 社会保険と厚生年金は休んでても 支払い来るんやけど しんどいなら 復活してから月賦で払ってもえーし そうしとくで」




今振り返りましても

社長には本当にお世話になりました



が…

半身不随を逃れた健康体の旦那

病院で暇を持て余すようになります




「これ 置いて行くね」とテレビカード代や飲み物代 5000円置いて行けば



2日目には

「金 無くなったから 置いておいて」と言います




何に使ったのか聞きますと

1杯 500円のコーヒーを1日2杯飲んでるだの

暇だから 雑誌買っただの…




「いい加減にしろ!!!!」と言いたくなる始末




すると

「見舞い金ってさ 俺の金だよね?」と言い出しました




この時期 私には記憶がありません

どうやって 子供達と仕事…病院とこなしていたのか?




物凄く バタバタしていたように思います




そして 旦那は無事退院しました

念には念をで

仕事は一ヶ月お休みを貰いました




つまり 家に毎日いる生活が

一ヶ月始まったのでした