虐待

両親が遅くまで働いて 夕飯が遅いとか

両親が毎日働いて 何処にも遊びに行った事がないとか


色々 その家庭で沢山あると思う


「愛情」が伝わっているならば

ある時期になれば 忙しかった両親を理解するのだと思うが


私の育った家庭では

「歪んだ愛情」しかなかった


小学生になると

夕飯を姉が任された

母は自営業の父を手伝っているからと言う理由だった



「美味しいね」「ありがとうね」なんて初めこそ聞いたが

次第に当たり前になり



「まだ作ってないの?」「おつりこれだけ?」

「これだけのお金で作ってちょうだい」


日曜日 休みの日も

「早く作ってちょうだい」



「お姉ちゃん ご飯まだ?」



とすぐなって行った



私へは「無視」をするか

「本当にお前は役立たずだね?」

「お前は結婚出来ないよ」

「お前の旦那は哀れだよ」と子供時代から

言われ続けていた



姉は懸命に母の言う事を聞いていた

そして ある日母に掃除機でボコボコに殴られた



日常的に理不尽に殴られていたが

その日は強烈だった


「殺される!」そう思い姉に覆い被さった


「死んじゃうから止めて!」

母の顔は般若のような顔だった



それから姉は母を睨み付けるようになった

何も話さず ひたすら睨み付ける

母は私を可愛がるようになって行った



が 私は母が嫌いだったので

母の言う事を全く聞いた記憶がない



むしろ母に我が儘を言って

「利用」していたように思う



突然新聞をビリビリに破り

ゲラゲラ笑いながら 部屋中に撒き散らしたり

「怖いか? 怖いか?」と笑いながら聞いて来る


「お母さん おなか空いた」と言えない幼少期

ただ 一人ケンタッキーをむさぼり食べてる母を姉と二人で見ていた



突然 いい母が現れる

「ご飯 何がいい?」「寒いからこれ着なさいね」



そしてまた突然 いつもの母になる


まさにジェットコースター

もし今の時代ならば 間違いないなく児相が介入するだろう


何度も 何度も近所のおばさんが

「もう許してやって」と言いに来た

泣きじゃくる私達の声を聞いて

止めに来たのだ



そして間違いないなく

母は児相に私達を預けただろう


その方が「いい母」でいれたと思うだろう



虐待されると我が子を虐待してしまうと聞く

姉はそうだった



私は真逆の考えを持った

沢山の本を読み 仕事柄 沢山の目上の人の話を聞いて 素直に実践して悩み苦しみ生きて来た



ただ 姉も私も

奥底にあるものを「包みいとおしく」思うには

まだまだ 時間が掛かると思う




「自分を大切にする」

虐待されて育つと それが本当に分からないのだ



ゆっくり ゆっくり

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