不登校

私は10代から美容師でした

多忙極まりない日々 壮絶な土日

わりと 器用な私は無難にこなしていました


たぶん そんな生活をしていましたので

息子の事や旦那の事

娘二人の事 仕事とこなしてしまった

そう思います



が 息子が不登校になり

何かが息子を苦しめている頃

この何かは 息子の捉え方のズレから生じる

「マイナス体験」だった訳ですが

当時は分かりませんでした



けれど 何かに苦しんでいる

学校に行かないから 明るくいる訳じゃない息子

部屋に閉じ籠り 食事もしない

表情は暗く 覇気もない


水分も「飲みなさい」と渡さなければ

飲まない



「甘え」「過保護」

そんな風に言われる事もしばしばあったが

もし 甘えて学校に行きたくないだけならば

もっと明るいんではないか?

もっとズルく過ごすのではないか?



私は周囲の言葉をシャットアウトして

「もう 学校に行かなくていいよ」と彼に告げました



「えっ?」驚いた表情の息子


「学校に行かなくていい むしろ行くな」

私はそう言いました


「お母さんはね 健康で元気じゃないあなたが心配なの 今ご飯も食べないでしょ? まずは学校じゃなくて まずは心と体が元気でいて欲しい」


「妹にも 命に係わる事は真剣に叱るからと言ってるじゃない?だから まずはあなたの体。今成長期でエネルギーが沢山いるの 今日から大好物を作り続けるから 食べる事」


「それも 出来てない今 学校なんてどうでもいい」



この言葉は物凄く勇気がいる言葉でした

中学3年の息子

受験もある


そんな時に「学校に行くな」と言うのですから

私にもそれなり「覚悟」がありました



まずは息子の気持ちを整理付けなければ

児童精神科まで まだ日にちがありました

予約が半年待ちなんですから



私は仕事をセーブし

空気のように いつものように家事をし

息子とあえて話をする事を止めました



そして 夕飯は早目に作り

部屋中にプンプン料理の匂いを撒きました



すると 大好物の匂いに誘われて?

息子がひょこりと出て来て

夕飯を食べるようになりました



家計は私が仕事をセーブした事で

火の車(笑)

もう 仕方ないんだと 割り切りました




お昼 息子がリビングに出て来るようになりました

そして その日から今まで苦しんで来た話を毎日 毎日 毎日話し出しました



3時間 4時間

話は止まりません



そして話ながら激情して行きます

涙を流し

「あの時お母さんはこう言ったんだ!」

「お母さんは!」「お母さんは!」



私は絶対受け入れるんだと覚悟していましたので 何も意見は言いません

ただ ひたすら息子の話を聞きました



けど まともに聞いていると

反撃したくなる話なんですね



これを2月半

毎日しました



私のストレスはMaxを越したように感じました

そんな時は長女をつれて

「女子会」と言って喫茶店へ



「ママ 疲れちゃうよ(笑)」と二人で笑いながら

息子のあるあるを話しました




「お兄ちゃんも 絶対分かってくれるよ!」

そう娘から励まされました



ゆっくりでしたが

息子は笑うようになり

毎日私に話していた息子のモヤモヤも

2月半 話続けた事で

「スッキリ」したようでした



これは「報われ」ました

元気になった息子

それから要約 児童精神科の初診の日が来たのです



よくぞお母さん これを出来ましたね

彼に取って物凄く良かった事です


なんて言われましたが

やはり 凄く疲れてしまいました



今では笑い話に出来ますが

息子が鬱になるか? 私が鬱になるか?



そんな2月半でした


不登校になりますと

本当に親はどうしていいか?何していいか?

悩みます



反抗期ですので

親の言うことに耳を向けたくない時期

話など進まないです


私が毎日息子に言ってた言葉

「五体満足に産んだんだから 体だけは大事にしてね」


「あなたを信じてるから 将来なんて心配してない あなたなら大丈夫」



「美味しいと笑えるね」



こんな事を毎日息子に言ってました

激情した時は冷静に見ながら

「疲れてるから 少し休む?」と言ってました


いくら私に挑発的な言葉を言っても

荒く質問しても

「聞いてるよ 続けてお話して」


と言ってました



息子の波長に絶対合わせない

けど きちんと聞く



これ 本当にストレスでしたが

効果的です